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伝説の相場師ジェシー・リバモアのトレード手法をFXに活かそう

伝説の相場師ジェシー・リバモアのトレード手法 相場格言・座学
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海外ビットコインFX取引所で日々トレードをしている仙人です。

今回はまさに伝説的な相場師として、没後80年以上経った今でも絶大な人気を集めているトレーダー・リバモア氏について書いてみようと思います。

1929年の世界大恐慌を予測し空売りで1億ドルを超える利益をあげ、暴落のさなかに一人勝ちをおさめた伝説の相場師…。

4度の破産をし、2度の離婚を経験し、
最後は63歳という若さでピストル自殺…。

ドラマティックで破天荒なジェシー・リバモアの人生を知れば、あなたのトレードの質が変わります。

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相場師ジェシー・リバモアの壮絶な人生

ジェシー・リバモアジェシー・ローリストン・リバモア(Jesse Lauriston Livermore、1877年7月26日-1940年11月28日)はアメリカの伝説的な投機家、相場師です。
「ウォール街のグレートベア」という異名をもつ。

リバモアの人生年表
  • 1877年 0歳
    アメリカ、マサチューセッツ州で生まれる
  • 1891年 14歳
    ボストンでチョークボーイを始める
    農業を継がせようとしていた父に反発し、母の手助けにより14歳で家を飛び出し、ボストンで株仲買店のボーイになった。生まれつき数理の才に恵まれたリバモアは、ここで独自にティッカーテープを読んで、相場変動の特性を探るようになっていた。
  • 1892年 15歳
    バケット・ショップで取引をはじめ1000ドルを貯める
    15歳のとき年上の同僚から差金決済取引の原型となるバケット・ショップに誘われ、3ドル12セントを儲けた時から投機家へと足を踏み出すことになる。彼は『無鉄砲な少年相場師(boy plunger)』の異名が付くほどバケット・ショップを相手に勝ち続けた。トレードに専念するため仕事を辞めた。
  • 1897年 20歳
    ニューヨークに移り住み、ウォール街で取引開始するも半年後に1回目の破産
    ニューヨーク証券取引所で株取引を開始するが、6ヶ月足らずで破産(1度目の破産)。
    これはバケット・ショップでは注文が店頭で即刻執行されるのに対し、当時は電信を使っていたためにタイムラグがある本物の株取引の違いによるものだった。しかし、もぐりの証券会社の裏をかいて金を巻き上げ、復活する。
  • 1900年 23歳
    ネティ・ジョーダンと結婚、翌年5万ドルを手にする

    ノーザン・パシフィックの空売りで強気の相場に乗り5万ドル(現在の貨幣価値で20億円程度)の資産を作る。
  • 1906年 29歳
    友人の助言で損失を被り2度目の破産

    1906年、世界経済の情勢を分析して、この5万ドルをユニオン・パシフィックの空売りに投じて25万ドルを得たが(1906年のカリフォルニア大地震が起こる前に、ユニオン・パシフィック鉄道株を大量に空売りしており、大地震が起きて暴落し巨利を得たというエピソードがありますが、これは運が良かっただけかな?)、株価が下落するという読みは正しかったものの仕掛ける時期が早すぎたため、直後の株価の反騰の波に飲まれ、5月に2度目の破産
    妻・ネティのために購入した高額の宝石類を質入して投機につぎ込むという頼みを断られたことをきっかけに、夫婦仲は悪化し別居が始まった。
  • 1907年 30歳
    資産100万ドル達成

    2度の破産から立ち直り、100万ドル(現在の貨幣価値で200億円)の資産を達成。
    「コットン・キング」の異名を持つパーシー・トーマスの勧めでコットン市場(相場では代表的銘柄)にも手を出すようになる。
  • 1908年 31歳
    コットン相場の大暴落で3度目の破産

    1908年、コットン相場の大暴落で綿花の買い占めに失敗、莫大な負債を抱える(3度目の破産)。
    このときの失敗をリバモアはこう振り返っています。
    他人(専門家)の相場観で売買、自分のルール不徹底、ナンピン買い、損切りを行わない、ポジポジ病、大損を出した後市場ですぐ取り戻そうとした、感情的な売買、巨額の損失額に恐れ判断力を狂わせた。
  • 1910年 33歳
    自己破産申請

    負債を抱えながら投機を続けることに限界を感じたリバモアは、債権者一人ひとりに「再起したら必ず負債は返す」と約束してまわった上で1915年2月18日、破産を申請、受理される。
  • 1917年 40歳
    負債を完済する。ネティと離婚する

    破産が確定して精神的に開放されたリバモアは再び市場で勝ち始め300万ドルを手にし、債権者達に負債を完済する。
    同年10月に長年別居していたネティと離婚。
  • 1918年 41歳
    ドロシー・ウェントと結婚

    ショー・ガールだったドロシー・ウェントと出会って2度目の結婚。2児をもうける。
  • 1929年 52歳
    空売りで1億ドル以上利益を上げるが、大暴落の根源として非難を浴びる

    1929年9月4日、世界恐慌の引き金となった暗黒の木曜日に向けた空売りを行ない、1億ドル(現在の貨幣価値で4000億円)以上の利益をあげる。10月24日、リバモアは大量の売りポジションを持っており、もし彼がこのまま売り続ければNY市場は本当に崩壊しかねない状態であった(リバモアは売り買いが上手くいっている時にさらに積み増すピラミッディングを得意とした)。ついにJ・P・モルガンがリバモアにわざわざ使いをよこし、市場を救済するため、これ以上の売りは行わないよう要請してきた。これを受け翌10月25日の朝、リバモアは猛然と買い戻しに入り、主要なあらゆる株をも買い捲る行動に出た。これをきっかけに市場の流れは変わり、暴騰相場が始まった。銀行家達は、リバモアの愛国的な行為に感謝した。しかし、その後再度暴落した
  • 1932年 53歳
    ドロシーと2度目の離婚、翌年ハリエットと3度目の結婚

    9月16日、不倫が元で別居していたドロシーと離婚。しばらくしてハリエット・メッツ・ノーブルと出会い、1933年3月28日に結婚。ハリエットの結婚は4度目であり、しかも彼女の前夫たちはみな自殺していた
  • 1934年 57歳
    4度目の破産をする
    4度目の破産
  • 1940年 63歳
    ピストルで自身の頭を撃ち抜き自殺
    3月、息子ジェシー・ジュニアの勧めから『How to Trade in Stocks』を著すが評判はいま一つであった。同年11月28日、ニューヨークのホテルの一室で

    「どうしようもない。事態は悪くなるばかりだ。私は戦うのに疲れた。もう続けていけない。私にはこれしか方法がない。私は君の愛には値しない。私は失敗者だ。本当にすまないが私にはこれしか方法がないのだ」

    と書かれた遺書を妻に残し、ピストル自殺を遂げた。晩年はうつ病を患っていた。
    彼が死に際して残した信託と現金は500万ドルにのぼっていた。

リバモア自身はピストル自殺。妻はアルコール中毒。長男はDV&アル中&母親に銃で打たれるなど、プライベートは悲劇的な人生を送る。次男はまっとうな人間に育ったようです。

リバモアの半生は数万ドルの宝石やアンティーク家具、子どもの誕生日に自宅にサーカスを呼ぶなど、その金の使い方は想像できないほど華々しかったそうです。

破産・成功を繰り返し、大恐慌という歴史の波に乗り、巨万の富を作り上げたリバモア。
しかし、人生の後半は暗く陰鬱なことばかりでした。

ジェシー・リバモアのトレード手法

リバモアのトレード手法は、トレンドに従うトレンドフォローであることは一貫しているが、年代や時期に応じて特徴があります。

初期のトレードはスキャルピング

初期における手法はバケット・ショップにおける超短期の売り買いを繰り返すスキャルピングというトレード手法。
しかしニューヨーク取引所のルールと、発注後即時約定され手数料も少ないバケットショップの証拠金取引とでは取引所の方が売買手数料が高く、オーダー約定もタイムラグが生じてしまっていた為、一度目の破産。
再度バケット・ショップに戻り証拠金取引でスキャルピングを続け復活。

中期のトレードはファンダメンタルとトレンドフォロー

後にニューヨーク取引所で復活を果たしたリバモアは、ファンダメンタル分析(企業情報など)を元にした長期的な上昇と下落の予測を元にしたトレンドフォロー型のスイングトレード手法へ変化。

伝説の投機家とはいえ、使っている手法は特別なものはなかったそうです。

ナンピン(増し玉・ピラミッティング)を使ったトレード手法は否定しており、あくまでも「時間差やそのトレンドを確認した上での分散投資」らしいです。
優良銘柄は一度に買い込むのではなく何度かに分けるという感じ。

後期は大口投資家としての相場操縦

人生の後半は株価操縦に携わっており、一般のトレーダーは参考にならないトレード方法です。

100年経ってもトレード手法はほとんど変わらないしプレーヤーが入れ替わるだけ、という格言がありますがその通りなんでしょう。

  • 他人の意見は気にしない
  • 自分の明確なルールを持つこと
  • ルールに則さない場合はエントリーしない
  • ルール通りの場合は強気にエントリーして、結果を待つ
  • 結果が出たら相場から離れる
  • 資金があればトレーダーは何度でもやり直せる
  • 資金を手元に常に残すための保険を持つ
  • トレード以外に人生の喜びを見出しておく
  • 取れないリスクは取らない
  • 相場は何も悪くない、悪いのは自分だと理解する

リバモアが亡くなった時の保有資産は500万ドルに達していた。

ジェシー・リバモアの遺した名言

証券取引所では、大物相場師だって先のことは見当がつかない。

並外れた成功を収めた者も、たいていは小口のトレーダーとして出発した。

彼らが闇ブローカーから主に学んだことは、損切りができなければ市場から消えるしかないということだった。

相場師が成功を収めるための闘いは、心理的戦いであって知力の戦いではない。

人間らしい気持ち、感情の自由な働きを自らに許すのは、取引を清算した後、

すなわち株や商品に投入された資金がすべて現金化された後である。

金が証券の形を取っている限り、生身の感情を“殺し”続けなければならない。

痛い目にあったのはいつも

「自分の判断が正しいと自信を持ってゲームに臨める時にしか、相場に入らない」

という原則を守ることができない時だった。

誤った時にすべきことはただ1つ、改めることだ。

株というものは、買い始めるのに高すぎるということはないし、

売り始めるのに安すぎるということはない。

しかし、最初の建玉で利益があがらないかぎりは、続けての建玉は手控えるべきだ。

よく状況を見極めて待つことだ。

良いアイディアが相場で大きな利益を上げる秘訣ではない。

最も重要なのは、絶好の時が来るまで静かに座っていることだ。

投機家の最大の敵は自分の中にいる。

人間の本性として、人は希望と恐れとは無縁ではいられない。

自分の知る世界に専念せよ。

自分の失敗すべてから教訓を学ぶには長い時間がかかる。

物事には二面性があるとよくいうが、相場ではたった1つのことがあるだけだ。

強気か弱気かではない。

正しいか否かということなのだ。

明白なのは上げ相場では強気筋、下げ相場では弱気筋になれということだ。

トレーダーの相場に挑む態度はプロのビリヤードプレーヤーと同じ。

目先の1ショットではなく、はるか全体を見渡してプレーするのだ。

どのポジションをとるかを考えながらプレーするのはプロにとって習性だ。

株価が変動する姿にのみ意識を集中させよ。

変動の理由に気をとられるな。

株投機は世界で最も魅力的なゲームだ。

しかし怠惰な人、感情をコントロールできない人、

それに手っ取り早く儲けようなどと思っている人は、絶対に利益を上げることはできない。

先物取引、投機の世界において何ら新しいことは起きない

リバモアは「トレーディングには時間的要因が重要」と考えていた。
時間的要因というのは、今でいうテクニカル分析「一目均衡表」「MACD」「RSI」「移動平均線」など時間的要因を解析するための指標です。

投機家の誤りはマーケットが教えてくれる。その誤りに気がついたら、すべてを手仕舞い、損を受け入れ、過失の原因を突き止めるため記録を精査し、次の大きなチャンスを待とう

マーケットは決して誤らない、一般投資家は必ず選択を誤るものだという考えは徹底していたようです。

ローマは1日にしてならず、重要な本物のトレンドも、1日や一週間では終わらない。
マーケットがロジカルに推移するには時間がかかるのだ。

しかるべき時期に利益確定を待つ度胸と忍耐力があれば、必ず利益を手にしたとの記録もある。リバモアは初期はスキャルピングを得意としたが、以降はトレンドの初期にエントリーし辛抱強く待つというスタイルがメインだった。

私は利益を出すたびに現金化して引き出すことを習慣にしている

リスク管理の大切さは4度の破産を経験しているリバモアだからこそ言葉に重みがありますね…。よく全部復活できたな。
資金を全部相場に突っ込む人もいますが、常に余力を残しておくことはとても大事です。

ジェシー・リバモアの書籍

株式売買のタイミングを計るピボタル・ポイント理論、資金管理の法則、相場の心理学などを学ぶことが出来ます。


エドウィン・ルフェーブルがリバモアの手法を記したもので、日本の外資系投資会社の新入社員にはまずこれを読ませるという話もあるほど有名。

投資家ジェシー・リバモアのまとめ

伝説の相場師ジェシー・リバモアのトレード手法、そして生き方を記事にまとめてみましたがいかがでしたか?

本を読むと詳しく書かれていますが、破産にも、復活にも、しっかりとした理由があるのが面白いです。

ジェシー・リバモアの生き様から学べるのは、伝説の投機家でも敗北することがあるということ。
失敗の原因として以下のように挙げています。

  • 他人の意見をベースに考えてトレードした
  • 注文執行が遅れることを把握していなかった
  • トレードに感情を持ち込んだ
  • 無限ナンピンしてしまった
  • リスク許容外の損失にたじろいで判断力がなくなった

そして、復活した要因としては次のように挙げています。

  • 自分の明確なルールがあった(破産時は守れてなかった)
  • 保険を用意していた(奥さんの宝飾品)
  • 定期的に資金を引き出す癖をつけた

特に、定期的に資金を出金してリスク管理を徹底したことは参考になります。

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